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パプアニューギニアプロジェクトで初めてのパプア出張

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■自己紹介

海外プラント輸送部参与の能野です。現在PTサンキュウ・インドネシアに業務応援に来ております。
インドネシア国営電力会社が同国の電力需要の増加を踏まえ、スラバヤから南東150kmのパイトンに石炭火力発電所を建設するパイトンプロジェクトの、輸送通関作業の担当SV(スーパーバイザー)として業務しております。

私は1979年山九に入社し、岩国支店を振り出しに東京支店のお台場事務所に転勤となり、プラント輸送作業全般(梱包・乙仲・客先出向・現地SV等)に従事するようになり、かれこれ30年間プラント関係の作業に従事してきました。
過去戦争等で消滅したプラントもありますが、大型プロジェクト14件、当該国はインドネシア、台湾、アルジェリア、香港、クエート、中国、シンガポール、マレーシア、タイランドの9ヶ国に及びます。
地球上に実際に携わったプラントの構造物があり、現地の人々に貢献できているということはすばらしいことだと感じております。
これらプラント作業に参加できたのも諸先輩方、各現法の方々、また各国の方々のご協力・ご指導があってのことだと思っております。

6年前の2005年10月に、パプアニューギニアのプラント建設工事の現場マネジャーとして初めてパプアニューギニアに足を踏み入れた話をします。(なかなか山九の方々でもパプアに行かれた方はいないと思います)
世界で2番目に大きなニューギニア島は、島の中央にマウケイ山脈が走り、富士山より高い山々が東西に連なり、標高4,000m以上は氷河に覆われています。

75%以上がジャングルに覆われていますが、近年天然ガスや原油、銅、金などの地下資源の埋蔵が確認され、1969年にインドネシア領となり地元の警察や国軍が駐在し統治するが、この地域の人々の間で独立自治を求める運動が高まり紛争が多発して治安が不安定な地域です。
このような地域で2005年~2010年の約5年間でプラントが完成したのですが、弊社は日本の山九と協力し、この建設に係わる海上輸送、荷受、内陸輸送作業を担当し、無事故にて作業を完成させることが出来ました。

 

■パプアニューギニア・プラントの場所

2005年10月、私とジャワ人MGR二人でジャカルタ空港から夜9時の国内線ムルパチ航空で出発しました。
スラベシ島のマカッサル空港で30分待機、滑走路に待機しているメナド行き飛行機に歩いて乗り、午前2時すぎにメナド空港着、真っ暗な空港の控え室で朝方4時頃まで待機していました。

広い空港ロビーの中にはソロン行きの乗客しかいません。
ジャワ人と違い色黒、天然パーマのパプアの人々が大部分です。ここまで約7時間、日本なら成田には到着している時間です。
午前4時過ぎソロン行きの飛行機に乗り換えパプア州の玄関口であるソロンを目指します。
飛行時間約2時間、朝日を拝みながらの飛行が続きようやくパプア州ソロン空港に到着です。
これから18人乗り飛行機に乗り換え現場(プラントの場所)に一番近い村 バボ(babo)を目指します。

 

パプアニューギニア
(BABO空港)


18人乗り飛行機は、過去マレーシアサラワクのクチンからビンツゥルまで乗った経験がありますが、乗る段階になると先ず体重計に荷物を持ったまま乗り各自の重量を測ることが飛行機会社の仕事です。
荷物はスーツケース1個、背中にはリュックサックを持ち、大きな体重計にのり計測。数字は測る人から口頭で伝えられ、全部の計算ができるのかと思いました。
滑走路を歩いて飛行機に乗り込みます。タラップは3段くらいです。座席は18人分しかありません。
前方には操縦席がみえ2人のパイロットが計器を確認しています。飛行時間は約1時間くらいです。
飛行高度が低いので熱帯雨林やその中を蛇行して流れる河がよく見えます。

ぽつんぽつんと村らしきものも見えます。あたり一面熱帯雨林のジャングルです。
こんな場所に不時着したら生きてはいけません。
湿地帯にはワニや蛇などが生息しています。(現場でもお目にかかったことがあります。)
 

 

パプアニューギニア 
        (現場近くのクロコダイル)                        (現地の人いわく4本足のヘビ)



またマラリアや風土病のメッカでもあります。
ようやくバボ空港到着、サンキュウ宿舎に向かう。バボ村には、当時タクシーはなく、乗り物は全てバイクです。
値段交渉してバイクの後ろにまたがり、荷物は別のバイクで運ばせます。値段は1台ジャカルタの倍位です。
燃料を含めて全ての値段が運送費が入る為に、ジャカルタよりはるかに高目です。

宿舎でやっと朝飯を食べることができました。朝からラーメンと海老とカニを炒めた料理です。
バボ村では、野菜は取れません。ビタミン不足になりそうです。
蚊も多くマラリアになった現地の人に薬をあげると喜ばれます。
しかし、魚類、特にエビとカニは豊富です。魚を朝バケツに入れて漁師が売りに来ます。

電気は、夜の7時から10時までの3時間しか届きません。
店屋の冷蔵ケースに入っているジュース類は冷えていません。
村に2件ある華僑の店には、発電機があり夜は外灯がともりますので、村の人々が夕涼みがてら集まり遅くまで話こんでいます。
朝飯を食べマンディ(水浴)する為にトイレに入り、水貯のぼうふらを桶で叩いて沈ませ水をかぶりますが、その冷たいこと!
心臓麻痺をおこしそうです。

朝10時過ぎバボの船着場からサンキュウのスピードボートで一路、現場を目指します。
ビンツニ湾は、干満の差が大きく最大7m位ありますので時間をみて出発しなければなりません。スピードボートで飛ばして1時間で現場に着きます。ただ現地の人が丸木船で漁をしているとボートのスピードを落として航行しなければなりません。
丸木船を転覆させると大問題になります。
また途中浅瀬もあり流木にも注意して航行する必要があります。やっと現場沖の宿舎用バージ船ホテルに到着。
あいにく干潮のため現場の船着場に入港できず3時間くらいボートの中で待機。
潮が満ちるのを待ち、ボートを入れるが最後はボートから降り水の中を歩き現場に初上陸しました。所要時間は約18時間かかりました。
これから約2年半に亘るジャングル内での現場の奮戦記が始まるのですが今回は現場に無事到着したところまでにしておきます。



パプアニューギニア
(伝統的な船着場)

 

■地域の紹介

位置はインドネシア国 西パプア州、ビンツニ湾南側です。(ジャカルタとの時差は+2時間あります)
周辺のパプア人は屈強な体格をしている人が多く、ジャングル奥地には今でも裸族が暮らしていると聞いています。

パプアニュギニアは、第2次世界大戦で日本軍と連合軍が壮絶な戦いをした大激戦地です。
バボ村には、今でも戦闘機の残骸や日本軍の舟艇の残骸が見られます。
また洞窟には悲惨な戦いの傷跡が残っています。
北部のビアク島は、一時日本軍が占領しますが、連合軍との戦闘や飢餓、病気などで数千人の死者を出したところでもあります。
日本からの慰霊団の方にもビアク空港でお目にかかったこともあります。
ジャングルに入る際は、戦争で犠牲になられた英霊に礼を尽くして入る気持ちが大切です。
また現地の人々が神の木として崇めている木もありますのでむやみに伐採することはできません。
パプアには、外国人の立ち入りや宿泊が禁じられている地域もありますので、この地域に入るには事前に入域許可書を取得して各村に入る際は、警察の許可を取得する必要があります。

また独立を求める反政府組織が入る為、治安が不安定であります。
そのため地元民との友好関係を築くことが非常に重要となってきます。
すなわち双方にとって良好な関係を築くことが大切なことです。

サンキュウとしても、このプロジェクトを遂行する為に2002年に現地調査を行い各地域の指導者との人間関係を築いて参りました。
特に前線基地でありますバボ村については部族長を通じて村に貢献して参りました。
村人が使用しております埠頭の拡張工事をして村人の船が楽に係留できるようにし、宿舎等の建設も行いました。
このように社会貢献により現地の方と人間関係を築くことが、プロジェクトを遂行する上で重要であると学びました。(著者:能野)

 

パプアニューギニア
(著者:能野 現場にて)

 

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