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山九インドネシア国際株式会社の梅川と申します。(自称ではなく、他称、落研もしくはウメコ) インドネシアに赴任して約2年になります。赴任前は、大阪支店にて輸出入乙仲業務に約5年間携わっておりました。山九マンとしては未だ経歴7年のヒヨッコであります。諸先輩方からご指導・ご鞭撻を賜り、勉強の日々です。 先輩方からも、“いったい、いつになったら大人になってくれるのかね?”と嘆かれます。(みなさん、どうか見捨てないでください。早く、独り立ちします。。)
私の話をしても何も面白くありませんので、自分の話はこのくらいにして、メイントピックへ移らせて頂きます。弊社社員は、本当に多様多彩なメンバーが揃い、このブログに書けないような情報も満載?ですが、今回はちょうど今年還暦を迎えられる篠原さんに、自らの熱い思いを語って頂きます。 それでは、篠原さんどうぞ!!
インドネシアから、セラマット/ソーレ(セラマット:こんにちは、ソーレ:午後3時~6時までのこんにちは)。 マーケティング・セールス担当の篠原です。2005年5月から当現地法人に出向しています。 今回は、現法社員紹介ということでブログ作成を依頼され、投稿する次第です。
まず簡単に弊社のご紹介をしますと、お客様は、インドネシア一般物流市場においては、自動4輪・2輪のパーツメーカー、建機メーカー、風力発電メーカーなどです。プラント及びODA関連では、多数の日系企業と取引させていただいております。 セールスにおける弊社の強みは、現法の中でも有数の機材(特に、ドーリーでは167アクセル)を有していることで、お客様からの信頼を受け、例年多数のプロジェクトを遂行しております。
私の話をしますと、2007年11月から現職務を担当とするのと同時に、日本にあるお客様を営業訪問したのがきっかけで、2009年2月からは南アフリカ共和国某電力会社へ納めるトランスフォーマーの現地輸送及び据付作業のスーパーバイザーを務めました。そのプロジェクトは2010年5月に無事完了したのですが、8月12日からのプロジェクトのため南アフリカへは再赴任しております。
 (南アフリカ内の独立国・スワジランドにて、変電所へのトランス輸送中)
アフリカ大陸最南端にある南アフリカは、元々、ブッシュマン、ホッテントッドと呼ばれる部族しか居住していなかった土地でしたが、16世紀になるとオランダ人やポルトガル人が相次いで西海岸、喜望峰から入植し始めました。次いで産業革命中にあったイギリスが、18世紀末から金・ダイヤモンドを狙って進出し、ボーア戦争に勝利した以降は、オランダからイギリスへ正式譲渡されました。この戦争により、イギリス人が海岸部を占め、以外の白人(アフリカーナと呼ばれる)は内陸部へ移動し、両者では使用言語も異なり英語とアフリカーンス語(蘭、現地語が語源)が使用されています。1910年になるとイギリスから独立し、今の大統領はジェイコブ・ズマ氏で今年で2年目です。南アと言えばアパルトヘイトで有名ですが、前大統領であったネルソン・マンデラ氏が黒人の解放・自由を1960年代から訴え続け、1990年代に関連法案が次々に廃止されたことは、ご存知の方も多いかと思います。
初来訪した2008年9月事前調査時は、治安が最悪の状態と聞いていましたので、この先どうなることやらとの印象を強く受けたものです。2か所あるサイトへの輸送距離もリチャーズベイ港から550km、1,300kmと遠く、食事は、宿は、身の安全は、ライオンや毒ヘビに襲われはしないかと不安だらけでした。しかし、今や現地サブコンの白人、黒人の支援を受け身の安全を第一に行動し、これまで傷害、窃盗、恐喝、事故等に合うことなく作業に集中できていることに対し、お客様から感謝されております。
 (南アフリカにて・上段右から2番目が篠原さん)
私もいよいよ2010年8月で還暦を迎え定年退職しました(再雇用以後は南アフリカ赴任となりましたが)。 24歳から弊社でお世話になり、優秀な諸先輩方が仕掛け、受注した大型案件への参画、業務遂行、大中小プロジェクト案件でのピッチャー・キャッチャーとしての経験、自分が仕掛けた案件の契約締結、遂行、軌道乗せと物流でも様々な業種がある中で、強く脳裏に残っているものをご紹介したいと思います。 定年退職する方は、一人一人が大変な苦労をされ、数多くの思い出をお持ちです。私もその一環として、自慢ということではなく、海外絡みの思い出を、少々ご紹介することにします。
1985-1986: 高炉6社からインドネシア向けに集中出荷されたミルポート積冷延鋼板F.I. Cargoにおけるその量(25,000t/月(!))がものすごく、5船社に振り分け、休む間もなく船腹手配をした。 1988-1990: 88年8月までのA社出向中に、次はB社出向と命じられ、ココム規制関連、関税六法、日本機械輸出組合関連図書を輸出者の立場で猛勉強。いつの間にか出向先で一番となっていた。 1991-1992: 九州で建設された大型テーマパーク用の資材を、オランダから貨物船をチャーターして九州まで海上輸送し、無事納期通りに作業を完遂した。 1994: A社扱プロジェクト(タイ国)で、ビル(高さ12m)のようなモジュールをドーリーで輸送した。 1995: C社扱モンゴル向け道路舗装プロジェクトにおいて、極寒の日(マイナス22度)、道路調査中、道に迷いホテル帰着が明け方となり、ロシア製ジープが道に迷い死にそうになった。けれどその時見上げた夜空に無数の星を見た。 1996-1997: A社扱プロジェクトにて、米国ロングビーチ出しD社製ゼネレーター(重量120t、FOB価格1億円超)でインドネシアオーナー手配の保険付保ができず、不十分な指示とヒューストンの若く経験が浅い検査員に泣かされた。 1999: 日本からカリフォルニア州ポートワイナメ向け公務用機材を海上輸送した。その帰りの船便においてロングビーチでストライキに遭遇し、解決のため徹夜で対応し、ポートワイナメから大分港向けに出発した。
以上です。 ご安全に。
 (篠原さんの還暦祝い・送別ゴルフコンペにて 上段右から3番目は筆者梅川)
このブログでは書ききれない思いもあろうかと思いますが、今回はこのあたりで。 ちなみに篠原さんの息子さんは、小生と同い年(1979年生まれ)とのこと。今回はそんな若輩者のお願いを聞いて頂き、誠に有難う御座いました! m(_ _)m それでは、サンパイ ジュンパ ラギ!(また、会う日まで!) (筆者:梅川)
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